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照明デザイナー大津敏秀のSTORY

【照明デザイナー大津敏秀のSTORY】

“あかり“のある空間によって、人の心に光を灯したい

私が照明空間デザイナーになったのは、幼少期の星空の記憶、
絵を描くことが大好きだったことに由来しています

“星に願いを”

乳飲み子の自分を抱いて、母が空を見上げながらつぶやいた言葉でした。
「星空を眺めると、温かい気持ちになれる」
母がそのように幼い私に教えてくれたおかげで、私は“星を見る”ことが
大好きになりました。
両親と、夜空の星を眺めては、いつもワクワクしていたのです。

幼少期は、風景画を描くことが大好きでした。
「画家になりたい」という夢もあったほどです。(風景画作品集はこちら)

諸事情により画家になることはなかったのですが、大人になり「電気設備設
計」という”光のものづくり“に関わる仕事をすることになったのです。

電気設備設計者として、大きな転機となった仕事は2000年に噴火した三宅山の
噴火での被災地復旧作業でした。

当時、全島民が避難を余儀なくされ、三宅島はその後約5年の間、
島民は元の生活に戻れなかったのです。

約1年間、復興支援のために被災地に入り電気設備工事、住居の電気復元、
照明設備の復旧支援などを行いました。

その時に、街灯などを新設も行い、景観照明復旧工事に関わりました。

島民の方々から「星がよく見えるようになった」「街が明るくなってきた」と言われた時、
大変感動したのを覚えています。

その時の復興支援活動で、自身の価値観を大きく動かされたました。
“あかり”によって「地域とつながるコミュニティーデザイン」に取り組みたい、
“人の心を動かしたい“そう思うようになっていきました。
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その後、26歳の頃、電気施工会社で汐留シオサイトの「汐留住友ビル」
の施工、外溝を担当しました。

その時に初めて「照明デザイナー」という仕事があることを知ります。
壁の凹凸を照らす陰影、高さ40mにも及ぶガラスの壁、まるで“ガラス
の宝石”のように浮かび上がる「照明デザイン」の斬新さ。

汐留住友ビルのアトリウムは、夜になると表情を変え、
ブラケット照明や光柱の存在感が圧倒的だったのです。

“光をデザインしたい“

絵を描くことが大好きだった自分は、「光によって、空間をデザインしたいのだ。」
そんな風に思うようになっていきました。
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2010年にシンガポールで行われた国際的な“キャンドルナイト”イベントの動画を見た時も衝撃でした。

そのイベントの主催者も「照明デザイナー」だったと知り、
「これだ!」と自分の中でやりたいことがより明確になったのです。

そして、照明デザイン会社(有)EIAに所属。“照明空間デザイナー”として、活動をスタート。

飲食店へ赴きのある和紙照明を仕掛けたり、照明デザインでの企画、
景観への照明デザイン・照明コンサルティングなどの業務に力を注ぎました。

そして、照明空間の提案業務、設計技術の研鑽に日々つとめています。

IALD:国際照明デザイナー正会員にもなりました。
2015年から、私個人としては、“キャンドル制作にも取り組んでいます。
(ハンドメイドキャンドルAjouter CocoLuce はこちら)
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“キャンドルの光“というのは、人の心にダイレクトに作用する
“癒し”効果や“あたたかさ”があります。

それは、照明設計に携わる技術者としても大切な原点であり、
人が生活する空間を作ることにおいて、
自身が大切にしたいミッションにもリンクしています。
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ただそこに照明があるだけなのでなく、人々の生活があり、
そして会話があり、感情があり、笑顔があり、たくさんの幸せの瞬間があること。
照明のある空間によって、人の心に光を灯したい。

電気設備設計者・照明デザイナーとして、
これからも様々な方とのリアルなふれあいを忘れず、人々のライスタイル、
地域の活性化にも積極的に貢献したいと思っています。

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